昭和52年7月17日 特別報修委員
今朝のご理解の様なご理解は、また説こうとして説かれんとただ今頂きましたね。今日のご理解はね、私はもういっぺんお話せと言われてもお話できないご理解。ですからテープがあるからテープで聞けばまあいいわけですけれどもね。けれどもあの聞いただけではいけんのだねやっぱり。何かがそこにある。今日今朝から千葉県の野田市の教会の鈴木ふかという先生からお礼のお届がありました。まあおかげの泉を送って頂いているらしいですね。おかげの泉で大変おかげを頂いておるお礼のお届があった。
もう本当にそれこそ毎日、そちらのお広前にお引き寄せを頂いて、御教えを受けておられるご信者さんがうらやましいと書いてありました。ですからこれはやっぱり本当にそうでしょうね。皆さんの場合なんか本当にこうして、じかにご理解をご神意をそのまま伝えて頂く、今朝のご理解なんか確かにそうですね。あの又説こうと思うても説けないご理解です。という程しのいわばおかげの頂けれる内容を頂いておるご理解ですね。
そこでですけれども、それをなら頂く姿勢がね、いわばその鈴木先生が言っておられるように、おかげの泉ででもおかげを受けておる。ならこちらのご信者が、このお広前にお引き寄せを頂いてしかもじかに御教えを頂いておるならば、もっとおかげを頂かなければならないと思う。お互い頂くほうの側がもっともっと、この姿勢を作らなければいけない。もっと本気で頂かなければ。そんな事を今のご祈念で思わせて頂きましたね。
どうぞ。
御理解あちらで頂いて下さい。そういうてもやっぱりいかんごたるですね。だからんなら、毎日頂いておれば、尚おかげかというたそうでもないです。なら宮崎の方達のように、たまにしか参ってみえられんのですけれども、そのたまに参ってきた時にです、またと説かれないご理解に今日例えば会われたと言う事は、もうこれは本当にいろんなまあ、あの千歳一遇ですね。そのくらいな頂き方ためにはどういう頂き方を、あのさせて頂かなければならんかと言う事をね、頂くほうの側がもう少し、研修させてもらわねばならんように思いましたね。
どうぞ。